【当事者手記】「助けて」と声を出せるまで『生きづらさと摂食障害と私』


セクハラと鬱で寝たきり状態に

高校卒業後、アルバイト先でセクハラを受けた。ここには記せない、思い出すことすらはばかられる出来事だった。当時、そのことを話せる相手は誰もいなかった。
その結果、はじめは痩せるために始めた「吐く(過食嘔吐)」行為が、いつしかストレス発散行為となり、みるみるうちに悪化していった。そのうち過食嘔吐か寝るだけの毎日が続き、心身ともにボロボロのうつ状態になった。その後、アルバイトは退職した。

家族関係に変化

退職後は一時精神病棟に入院、その後は自宅療養していた。この時期、「私は何のために生きているのだろう」と、何も出来ない自分のことを責め続けていた。
また、セクハラを受けたことによるフラッシュバックにも苦しめられていた。
自宅療養中、家族との関係が変化した。私が母に対して本音(セクハラを受けていた事)を話せたり、私が寝たきりになったことで、父が「怠け者だと思っていたけれど、本当はがんばっていたのか」とこぼしていたのを母から伝えられたりした。
私が何もできなくなったこと、自殺未遂を図ったことで、家族は病院やセラピーに連れて行ってくれたり、常に優しい態度で接してくれたりと心身ともにサポートしてくれた。
そのお陰で、私はうつ状態からの回復とともに「家族への感謝」という気持ちを初めて持つことが出来た。退職から一年もかからずに寝たきりだったうつ状態は寛解した。
その後数年間は何社かで勤め、数年後には東京で一人暮らしを始めた。

過食が悪化 通院を決意

紆余曲折あったが、私は念願の仕事に就くことができた。自分が社会に認められたようで、劣等生から優等生になれたようで、嬉しくてたまらなかったことを覚えている。
ところが、その職場は激務で強いストレスを感じる環境だった。そのため、過食嘔吐が再度悪化していった。両親からの、金銭面の援助はするから通院を、という声も断固拒否し続けていた。

この頃は、仕事と過食嘔吐を繰り返す毎日だった。徐々に過食嘔吐にかける時間が長くなり、睡眠時間は減少し、仕事を休みがちになっていった。同時に、うつ状態だったのか自覚は無かったのだが、化粧をしないなど、身なりを全く気にしなくなったり物忘れが激しくなったりしていった。
気がつくと、出社できなくなっていた。上司とのメールでのやり取りすら困難な状態になり、やがて休職した。
休職中、私は摂食障害治療のために通院することを決意した。摂食障害を専門とする病院を調べ、十件以上電話した。一ヵ月以上待ちはザラで、新患受付をしていない場合が多かった。
その中で、なんとか予約を取れた三、四件の病院へ行った。自分に合う病院探しは困難を極めた。
合わないと感じた医師の診察後はどっと疲弊するし、うつ状態の中で歩き回るのは本当に大変だった。

実家にひきこもりたかったのに…

結局、念願だった仕事も止む無く退職し、自宅療養することにした。実家へ行った所、ひきこもり状態だった兄弟が辛くあたってきた。
私が帰省したことで、兄弟の精神状態が悪化したらしく、母から「悪いけど、東京に戻ってちょうだい。ごめんね」と伝えられた。療養するつもりが、さらに傷つき辛くなってしまうという、悲惨な結果となってしまった。私は暗鬱な気持ちで「この先どうなるのだろう。もう立ち直る自信がない」こんなことを考えながら東京へ戻った。
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