(文・写真 ぼそっと池井多)
バブルに追い詰められて
前回「ひきこもり放浪記 第3回」に書かせていただいたように、
世間が経済的活況を謳歌すればするほど、
1980年代後半の私は追い詰められていった。
留年は、2年しかできない。
大学6年生が終われば、「学生」という身分から追い出されるのだが、
その後、どのように生きていってよいかわからなかった。
大学4年のときに就職活動をしてうつ病に倒れた経験から、
もう二度と会社員になることは考えなくなった。
しかし、だからといって他の生き方も考えられない。
当時はまだ「フリーター」という言葉もなく、
もともと未熟であったうえに、うつ病で硬直した頭では、
アルバイトをしながら生きていけるとも考えられなかった。
そこで死のうと思った。
病気の頭がはじきだした結論は、
大学を追い出される前に人生を終えるということだったのである。
確実な方法とは
「自殺するからには、失敗してはならない。
自殺に失敗などしたら、また母親が何と言って私を責めるかわかったものではない」
そう考えた私は、完璧な方法を探した。
『完全自殺マニュアル』などという物騒な本が出るのは、
まだまだ先、1993年のことである。
当時の私の本棚にあったのは、
フランスの若い哲学者が書いた、自殺する自由を論じた一冊であった。
そこには確実に自殺できる方法として、
次のような方法が書かれていた。
できるだけ知名度の高い超高級ホテルの部屋を3日間予約し、 宿泊費先払いでチェックインする。 『起こさないで下さい』 という札をドアの外にかけ、 以下のうちいずれかの薬を致死量分、嚥むべし。
そして、何種類かの薬がリストアップされていた。
見ると、なんと私が主治医から処方されている薬も含まれているではないか。
「そうか。この薬を致死量まで嚥めば死ねるのか」
私の脳裏に、希望によく似た光があらわれた。
地道に薬を溜めこんで…
致死量は、かなりな分量であった。
私は何か月も通院して
処方された薬は一錠ものまないで、
宝物でもしまいこむように
大切に溜めこんでいった。
「みんな、首を吊ったり、高い所から飛び降りたり、
衝動的に自殺しようとするから失敗するんだ。
地道に、計画的に実行すれば、けっして死に損なうことはない」
そう確信していた。
早く致死量が溜まらないかと待ち遠しかった。
まるで、生まれてくる我が子の誕生を待ちわびる若い男のように
私はその日を待った。
もうすぐ致死量が溜まるというころになって、
そろそろ自殺する場所を確保しなくてはならないと思った。
マニュアル通り、高級ホテルの部屋を3日間、押さえなくてはならない。
貧乏学生であった私にとって、
高級ホテルとはまったく無縁な空間だった。
帝国ホテルだの、ニューオータニだの、
いちおう名前は知っていたが、
そういう空間に泊まったことはおろか、
恐れ多くて足を踏み入れたことすらなかった。
そんな敷居の高い場所を予約するのは、
自殺を考えるほど鬱をつのらせ、
社会を恐れ、人を恐れている、
都会ずれしていない、自意識過剰の若者にとっては至難の業であった。
今ならば、インターネットで数回クリックするだけで予約ができるが、
当時は少なくとも電話をかけなくてはならなかった。
予約の電話がかけられない
ところが、ただでさえ私は電話が苦手だった。
対人恐怖が高まっているころには、よけいに電話はできなくなった。
ひきこもる私の頭の中で、
こんな妄想がどんどん自己増殖していった。
……電話すれば、きっとホテルの予約受付係が出るだろう。
それはきっと、若い、もしかしたらぼくと同じくらいの齢の人だろう。
きっと女性だろう。
高級ホテルに就職したくらいだから、
かなり優秀な女性にちがいない。
そんな女性が、ぼくのような若者が
慣れない電話をかけてきたということでどう思うだろうか。
ぼくは大学から出ていけない。働いていない。
それだけ社会のことを知らない。恥だ。
受付係に馬鹿にされて終わるのではないか。
名前を聞かれたら本名を言ってしまっていいのか。
まずいだろう。
安全策をとって偽名にしておけ。
しかし、偽名を言うとなると、あわてた口調で偽名だとばれてしまわないか。
じゃあ、やっぱり本名にするか。
でも、「二泊三日予約したい」などと言ったら、
たちまち不審に思われて自殺計画を疑われ、
警察に通報されるのではないか。
なにか野暮なことを口走って、
ふだん高級ホテルなど使ったこともない貧乏人であることがばれて、
徹底的に軽蔑されるのではないか……。
こう考えてくると、もう予約を入れるのが怖くて怖くてたまらなくなった。
それで、いつまで経っても電話がかけられない。
そのうちに、薬はもう十分、致死量が溜まった。
いまだ場所は確保できていない。
何度も電話の前に座り、受話器を手に取り、
ウンウンうなるように考えこみ、
ブルブルふるえるように恐れ、
帝国ホテルの番号をダイヤルしようとするのだが、
やはりそこで、私は怖くなってやめてしまうのであった。
やがて私はがっくりと首を垂れて観念した。
「だめだ。日本では死ねない」
どこか海外で、死ねそうな国を探そう。
私は、アフリカへ行こうと思った。
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面白いです。思わず読み込んでしまう連載です。
『笑っちゃいけないんだけど、笑っちゃう。』
そんな感じです。
生活共々苦しいかと思います。活力になる範囲で執筆をお励み下さい。
下斗米曜さま コメントをどうもありがとうございます。
『笑っちゃいけないんだけど、笑っちゃう。』
というのが、最高の読者だと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。