【イタリアのひきこもり研究者と対談】ミラノ東京
ひきこもりダイアローグ 第1回
(写真:ミラノと東京の街角:pixabay とphotoACから合成)
<対談者プロフィール>
◆ マルコ・クレパルディ (Marco Crepaldi)
イタリア・ミラノに住む若い社会心理学者。イタリアにおけるひきこもりの増加に対応するべく、イタリア版「ひきこもり新聞」ともいうべきウェブサイト「Hikikomori Italia」を立ち上げ、イタリア国内約170のひきこもり家族の連絡会を主宰している。本紙「ひきこもりは何であり、何ではないか」も参照のこと。
◆ ぼそっと池井多 (Vosot Ikeida)
日本・東京に住む中高年のひきこもり当事者。ひきこもり歴は断続的に30年以上。詳しい履歴については本紙「ひきこもり放浪記」を参照のこと。なお、この対談における発言は、あくまでもぼそっと池井多個人のものであり、本紙「ひきこもり新聞」を代表する意見ではない。
◆
マルコ・クレパルディ:
ぼくは社会心理学者として、2014年からイタリアにおけるひきこもり現象を研究しています。
日本から始まったひきこもりという現象について語る場として、「ひきこもりイタリア」というサイトを立ち上げました。
今日ではイタリアでも、たくさんの人がひきこもりについて話すようになりましたが、ぼくとしては、まだひきこもりという症候群を知らない人たちが関心を持ってくれるように、もっと世論をそちらの方へ向かせたいのです。
ぼそっと池井多:
私は50代で、日本では中高年のひきこもりと呼ばれます。
断続的に30年以上もひきこもりをやっています。
いまだにひきこもり当事者です。
イタリアにもひきこもりは居るのですね?
マルコ・クレパルディ:
居ますよ。私が主宰しているネットワークには、ひきこもりを持つ170の家族がつながっています。
でも、イタリアではひきこもりはまだ始まったばかりで、ひきこもりと言えばみんな10代か若者ばかりです。
ぼそっと池井多:
わるいけど、それって本当かな、と思っちゃうんですよ。なぜかというと、私はかれこれ30年も前に、一人のイタリア人のひきこもりと会っているからです。
もっとも、当時はまだ日本でも「ひきこもり」という語は存在していませんでした。だから人々は「あのころは一人もひきこもりなんて居なかった」なんて考えてしまいがちです。
でも、本当はそうじゃない。ひきこもりは30年前もたしかに居た。でも、ひきこもりが、ひきこもりと名づけられていなかっただけなのです。
だから、まだ、ひきこもりと認定されていないだけで、イタリアにも中高年のひきこもりがたくさん居るんじゃないかな。
マルコ・クレパルディ:
30年も前にイタリア人のひきこもりと、あなたはどうやって会ったのですか。まあ、「ひきこもり」とは呼んでなかったとしても。
ぼそっと池井多:
私自身は、大学を卒業して、さて就職しようという、23歳の時にひきこもりが始まりました。
しかし、日本社会でひきこもりをやっていると、どうも格好がわるい。周りの人々にあれこれと責められます。
そこで私は日本から逃げだして、外国でひきこもりをやっていたのです。
マルコ・クレパルディ:
あなたはそのとき、今ぼくに説明しているように、ご自分がやっていることを説明できましたか。
ぼそっと池井多:
鋭いですね。いいえ、できませんでした。
今だからこそ、こうして明晰に説明できるのでしょう。時を経て、些末な細かいことはすべて抽象化されて、やったことの本質が見えてきたのです。
マルコ・クレパルディ:
なるほど。それで、海外で何が起こったのですか。
ぼそっと池井多:
私はアフリカで、ジョゼッペというイタリア人の男と出会いました。
私たちはお互いに、なぜ自分がそこにいるかという経緯を語り合い、私は彼が、まったく私と同じだと知ったのです。
マルコ・クレパルディ:
彼も、海外ひきこもりだったということですか。
ぼそっと池井多:
そうです。
彼がアフリカからイタリアへ帰っていったあとも、私はしばらく海外ひきこもりを続けていたのですが、ヨーロッパに寄った時に、彼を地元に訪ねたことがあります。
彼の日常生活を垣間見させてもらったことは、私にとってとても良い体験になりました。
彼の家族は、私の家族が持っていたような、構造的な病理を持っていたのです。
それから、彼の地元の友だちの一人は、ずっと部屋にとじこもって本ばかり読んでいて、その両親が彼を責めつづけていました。
マルコ・クレパルディ:
今日ならば「ひきこもり」ですね。
ぼそっと池井多:
まさにそのとおり。
ここで重要なことは、当時はまだインターネットというものは一般人の世界には存在していないのに等しい時代であったということです。
だから、インターネット中毒も存在していませんでした。
あなた自身もひきこもり経験者ですか。
マルコ・クレパルディ:
いいえ、ぼく自身はひきこもりだったことはありません。
でも、ひきこもりが持っている人生観みたいなものはわかるつもりです。
もし、ぼくの人生で何か小さなことが違っていたら、ぼくは簡単にひきこもりになっていたことでしょう。
あるいは、将来ひきこもりになるかもしれません。それは誰にもわかりません。
たくさんのひきこもりが、ぼくのピアです。だから彼らを助けたい、いや、「ぼくら」を助けたいのです。
あるいは、彼らがひきこもりになった本当の理由というものを理解したいのです。
イタリアで、ぼくは数人のひきこもりと連絡を取り合っています。
彼らがお互いにコミュニケーションが取れるように、チャット・ルームを作りました。これは大成功でした。
イタリアのひきこもりたちは、お互いにコミュニケーションしたがっているのです。
それは日本でも同じですか。日本のひきこもりは、お互いコミュニケーションすることに興味を示さないと、ぼくは聞いたことがあるのですが。
ぼそっと池井多:
ひきこもりの在り方は、同じ日本の中であっても、じつに多様であるといわなければなりません。
コミュニケーションに飢えているひきこもりもいます。
コミュニケーションをとことん避けているひきこもりもいます。
5年もの間、一言も発しなかったというひきこもり仲間を近くに知っています。
そうかと思うと、私自身20代はずっと「そとこもり」をやっていたので、生きていくための最低限のコミュニケーションは毎日避けられませんでした。
私はほとんどの場合、いやいやながら人々とコミュニケーションを取っていました。
たくさんのひきこもりは、同じか、または似たような内的問題をコミュニケーションに対して持っているのではないか、と私は想像します。
心の奥底ではコミュニケーションを取りたいんだけど、でも気持ちや考え、欲望やプライドなどすべて折り合いをつけた形で自分を表現するような適切な言葉が、なかなか見つからないから、黙ってしまうのです。
あなたはイタリアでひきこもりのために、他にどういうことをやっておられるのですか。
マルコ・クレパルディ:
私はまた、ひきこもりの親たちがお互いを支え合っていけるように、親の会を作りました。
現在、イタリア国内170家族の親と連絡を取り合っています。
私は、親御さんたちの考え方もよくわかります。面白いのは、同じ問題に対して、ひきこもり当事者と親御さんたちは、異なったアプローチを取りたがる、ということです。
ぼそっと池井多:
素晴らしいお仕事をなさってますね。
日本でも、あなたがイタリアで作ったのと同じような機関があります。
それも初めは、ひきこもりの親たちのネットワークでした。
ひきこもりの当事者たちが、親ではなく当事者たちのためのネットワークを構築し始めたのは、ほんのここ数年のことです。
私たちの「ひきこもり新聞」は、そこで大きな役割を果たしていると思います。
・・・「ミラノ東京 ひきこもりダイアローグ 第2回」へつづく
「ミラノ東京 ひきこもりダイヤローグ 第1回 英語版」はこちら。
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これも「ぼそっと池井田」さんの書き物ですね。大変興味ぶかく拝読しました。
はやく続きが読みたいですね。
イタリアにもある…。なるほど。
数としては170と、少ない印象はありますが。あくまでもこれはマルコ・クレパルディさんが、ネットワークで把握されている数ですね。実際はもっと多いのかもしれません。
話を勝手に広げて恐縮ですが、韓国、中国などの状況はどうなんでしょうか。
韓国では日本と同様の社会的現象、ひきこもりがあるというコメントをどこかで読んだような気がします。
「たくさんのひきこもりが、ぼくのピアです」というクレパルディさんのコメントには共感を覚えますね。「ピア」は「ピア・サポーター」のピアですね。わたしがこの言葉と出合ったのは、抑うつ症で入院、復職プログラムの「リワーク」という、患者同士が互いにピア・サポーターになることで、気づきと励ましをもらうという活動を経験したときでしたが、それから、ちょっと大げさにいえば、生きる一つの指針というか、キーワードになっています。
ひきこもり新聞も、そういう観点からいうと、「ピアになる広場」を提供されているのかもしれませんね。