1人の時間を大切にすること、独りになるということ


文・9)

会社を衝動的に辞める

22歳のとき。
優しい上司、慕ってくれた後輩、励まし合った同期。
全てを終了させて、私は逃げ出すことにしました。
人間関係も良好で、嫌な事は特に無い日常。
時折、破滅したくなる衝動が常にありました。
「終わってほしい、全部終わらせたい。」
心の中で呟きながら、Enterを強く押して何かが破裂しました。
サラリーマンという肩書を捨てて、私は無職となりました。
帰り道、車の中の空間が心地よく、1週間ほど車中で暮らしました。

当時、3LDKの中古マンションを購入してひとり暮らしをしていました。
「今日から仕事せんでええし、2か月ぐらい、この空間だけで好きなことしよう。」
私には趣味とよべるものがゲームだけでした。
おなかいっぱい食事をするような感覚でゲームに熱中します。
目の前が霞んで見えなくなるまで毎日ゲームをしました。
宅急便業者の人以外とは話さず、外に出ず、30日が経とうとしていました。
2畳分のソファーの上でしか生活してないことに気づいた頃、
既に広い部屋というものが、いかに無意味なのかを思い知ります。
広いというのは、孤独に拍車を掛けました。

そして、ベランダに溜まったゴミの山を見て笑う余裕がありました。
昼夜逆転した生活の中、明日からは勉強しようと思い始めたのです。
「何のためにあるのこの部屋?」
そんな思いで書斎を開いてみることにしました。

資格取得の参考書が山のように本棚にはありました。
すべて、買ったけど諦めた遺物として埃を被っていたのです。
嫌な事から、逃げたらポリシーが無くなる。
理性こそ人類の勝ち取った最大の進化なんだよ!
偉そうに話してた過去の自分がフラッシュバックしました。
涙が出たのは、2〜3年ぶりでした。
「僕は弱いなぁ、自分で選んだのに。会社終わらせたかっただけやのに。」
人に意見を求めてみるか。
そんな想いになり始めたのは、100日以上過ぎた頃です。

体を壊して外に出る

インターネット上で人と話すようになりました。
どうやら、私のことを病気だという人たちが沢山いました。
発達障害とか、統合失調症とか、人格障害とか。
その時はネットも荒んでるなぁと落胆しましたが、ある程度は想定してました。
Enterを指が曲がるぐらい、思いっきり叩いたらキーボードが壊れたのを覚えてます。
「あかん、感情的や。何の罪もないキーボードくん壊してしもたわ。」
何方か存じないネット上の方への怒りよりも、キーボードを壊した不甲斐なさでまた泣きました。

その時に障害という単語だけは、とても記憶に残ってます。

私が外に出れたのは、体を壊して入院することになったからです。
1年1ヶ月の歳月が経ってました。
両親が家に来た時には、管理人さんにマスターキーで侵入されてました。
救急車のサイレンの音を確認したとき、私は泡を吹いていたようです。
その後、皮肉にも精神科に自ら希望し入院しました。
ネットが荒んでたのではなく、私自身が荒んでいたんだと改めて思ったからです。

その後、紆余曲折あり失踪しました。
両親からは捜索願が出されており、職務質問からあの手この手で逃れ、
ゲームなのか、現実なのか分からない感覚で、上京しました。
しかし、現実はゲームのように上手くは行くはずもなく、
あっという間にお金が底をつきかけてました。
広い部屋にはもう2度と住みたくなかったので、1畳半の牢獄のようなシェアハウスに住みました。
ドラえもんが出てくる押入れのような空間でした。
毎晩、洞窟の中で壁に押しつぶされて息が出来なくなる夢を見てました。
「これはこれで駄目や。おかしくなる。」
お酒を倒れるぐらいまで飲んで寝るようになりました。
自分が極端な人間なんだろうと、薄々感じることになります。

空腹からか爪がカサカサになっており、もう駄目なんだろうと思った矢先
内定が決まり、生き延びることになりました。
資格を取ったことが、就職に活きることになるとは思いませんでした。
その日、まだ新しい葡萄100%の飲料が、道路に捨てられてたので拾って飲みました。
爪のカサカサが、少しましになったような錯覚を感じました。
体重は45キロ。水ぶくれが体の数か所に出来てました。
体の感覚が麻痺しており、ムカデのようなものに刺されたのにも気づいてなかったです。
それでも、生きてて、瘦せたからモデルさんみたいな服着ようと思いました。

職場では、同僚とコミュニケーションはうまくとれませんでしたが、
社内食堂で破格の食事を取ることができました。
偶然にも職場の中にいた、障害者枠雇用を見かけたことで人生がまた変わります。
その後も会社は何度もやめて、就職を繰り返す日々でした。

自分を追い詰めて、粉々に壊す

過去のことを振り返ってきましたが、
私を苦しめたのは、自分自身の選択肢の幅の狭さだったのではないかと思ってます。
認識のズレが大きくなればなるほど、思い込みも強くなり、情報が少なくなると思います。
私はそれをリスクと考えています。
リスクが偶然重なることによって、起こり得るトラブルは沢山ありました。
しかし問題はトラブルが起きたことよりも、その後の対応だと痛感しました。

私は自覚した上で、好んで自分を追い込むことをやってしまいます。
もう駄目だ。と思う瞬間が癖になってしまっているのです。
自分にルールを課して、ルール違反をすると全てうまくいかないと暗示がかかります。
達成することが出来ないなら、始めからやる必要がないと思い込んでしまいます。
そういった部分は変えることは出来ませんでした。
ですが、好きなゲームは全国大会まで出場することが出来ました。
そして、人の作ったものを必死でやるよりも自分で何かを作ろうと思いました。
まずは体力低下を克服するために、現在ジムに通ってます。
これがとても自分に合っており、自分を追い込むことに興奮や快感を感じられています。
まだまだ途中ですが、何があってもやり遂げて体を作ろうと思っています。

そして、障害者という単語をネットで言われて、
すごく失礼なことを言われたと怒りましたが、それすら情報だと思えるようになりました。
今まで「障害」というデータだけを見て、情報というものに変換して、活かしてこなかったのです。
自分というものを尊重出来なった報いなのかもしれないと思ってます。
デメリットの部分だけを見るのでなく、メリットを探ることを考えるようになりました。
意地はどれだけ張っても、無駄なプライドは捨てようと決めました。
弱いということを肯定し、弱いという言葉を振りかざすだけでなく、
何が弱いのか?とことん知ることをやめないようにしようと、これからも思ってます。
私にとって引きこもりの経験は、自分を追い詰めて、粉々に壊す、貴重な体験でした。