私が生きていてもいい時間が続くのか~ある四十代女性ひきこもり当事者の生の声~
中高年ひきこもり当事者であるぼそっと池井多が、同じく中高年ひきこもり当事者の瀬戸さんに、ひきこもるまでの経緯と、いま困っていること、望ましい支援のかたちについてロング・インタビューしてみました。
聞き手:ぼそっと池井多 (54歳・男性)断続的にひきこもり
30余年。
現在も当事者。成育歴に問題をかかえたトラウマ・サバイバーたちの生の声を映像で発信するVOSOT(ぼそっと)プロジェクトを主宰。
語り手:瀬戸さん(46歳・女性)
ひきこもり歴28年。
存在が受け容れられていた高校時代
ぼそっと池井多︰瀬戸さんは、ひきこもりが始まったのはいつですか?
瀬戸:十八歳、大学に入ってすぐの時です。
成育歴の問題も絡んで、私にはもともと自分から人間関係を作っていく力がなかったようです。中学から高校へ進学したときも、とくに理由もなくそれまでの同級生たちと連絡を取らなくなりました。
それでも、高校時代にはひきこもりませんでした。田舎の小さな女子高で、三年間の寮生活を送りました。寮則や寮母さんが厳しかったですが、女性ばかりで居心地は良かったのです。
学校ではクラスの子、帰れば寮の子と話すだけで満足していました。クラスの中には、休日にお互いの家に泊まりに行って、深くつきあっている人たちもいましたが、私にはそういう親友はできませんでした。
でも、「それはそれで個性」として受け容れられ、私はそのコミュニティで自然に存在できていたように思います。とくに親友がいなくても孤独を感じなかった私は、「自分は孤独に強い、一人でも平気な人間なのだ」と思っていました。
寮と学校と町の図書館と貸しマンガ屋さんの四つの場所を移動するだけで毎日が成り立っていました。もともとアクティブな方でも
なかったし、どこかおしゃれな場所へ出かけたいという欲もありませんでした。
十八歳になって、今度は高校の同級生とのつながりを保とうとしないまま、なんとなく大学へ進みました。そうしたら、ひきこもりが始まってしまったというわけです。大学は高校とはぜんぜん違っていて、自分から出ていって人との繋がりや場所を確保しないと、どこにも属せない生活になるということを、私は大学に入ってから初めて知ったのです。
大学は、高校のあった田舎町からだいぶ離れた地方都市にありました。知り合いも親戚もいないその地方都市は、私にとっては都会でした。その事を不安にすら思わないで、私は大学へ進んだわけですけど、いざ生活を始めてみると、自分には人と繋がっていく能力も、帰属する居場所を作る力もないことを、まざまざと思い知らされました。それで、次第に外へ出ていくこともできなくなり、部屋にいるばっかりになっていったのです。
就職活動という壁
ぼそっと池井多︰すると瀬戸さんの場合は、受験に失敗したとか、失恋したとか、何か失敗体験がひきこもりのきっかけではなかったのですね。
瀬戸:はい。きっかけは失敗体験ではありません。ありのままで受け容れられていた環境から、全くそういうのがない環境へ移っただけで、すごい孤独になっちゃって。それはそれはつらい日々でした。
ぼそっと池井多︰大学の卒業や就職はどうしたんですか。
瀬戸:就職活動の時期になったときに、数回お茶をしたことのある子に誘われて、なんとなく一回だけ就職説明会に行きました。ところが、そこで何が話されているのか、そして、就職活動ということを行なうために自分が何をしなければならないか、がさっぱりわからなかったのです。「これはとても自分にはできない、あまりにも高度すぎる」と思いました。
ぼそっと池井多︰私のひきこもりが始まったのが23歳、就職活動の時期だったので、その感覚はとてもよくわかります。
瀬戸:それで就職はもう無理だと思って、とりあえず卒業して、あとは家賃を払うためだけにアルバイトをしてました。大学時代のひきこもりもしんどかったけど、今度は外に出て働かざるを得なくなって、よけいつらかった。とにかく家賃と食費の分はギリギリ働くけど、それ以上は本当に働けない。時給も低かったけど、ただただ自分がすり減っていくのを感じていました。ここで「人生、そんなものだよ」と言う人もいるでしょうけど、私はそう思わない。「もうやめたい。死にたいわけじゃ無いけど、この生活をやめたい」と思いました。
「だったら、もっと努力して働いて稼いで、その生活から抜け出せ」と言うのが、ここでふつう言われることだと思うんですけど、私は「ただ擦り切れていくような状況から逃げたい」と真剣に思いました。だって、自分がやりたいことをやってるわけではないから。
他人の輝かしさが「痛い」
瀬戸:きっと私は、心のどこかで何かを表現したいという気持ちをずっと持っていたのでしょう。
大学でひきこもって、少し歪んでしまったせいか、「自分は本当はすごい奴なんだ。ものすごい才能を持っているのに今はそれを出せていないだけなんだ」という感覚を手放せませんでした。
肥大化した自己愛と表現欲。それも「表現したい!」というストレートな希求ではなく、「自分は何かすごい才能を持っている」という根拠の怪しい認識に閉じこもってしまうと、だんだん気持ちが膿んで、赤く腫れ上がってくるのです。
それはたとえば、外に出た時に、キラキラした物、人の良い所を見てしまうと、痛みとして感じました。才能や表現に関係あることならもちろん、「あの人は豊かな人間関係を持っていそうだ」とか、「友達が多そうだ」とか、ほんのちょっとした人の良い所が全部、痛いんですよ。
全部が自分への攻撃のように感じるといいますか、あまりに痛いので、よけいに外へ出なくなる。もともと人と関わるのが下手なのに、さらに表現したい気持ちが膿を持って加わって、ますます人と関われなくなるという悪循環に陥りました。
こうして社会と完全に遮断されて、人生がニッチもサッチも行かなくなって、私は大学のあった地方都市から東京へ出てきて精神医療に繋がりました。(次ページへ続く)
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こちらの記事は3月号特集「中高年のひきこもり」に収録されています。紙面版ご購入はこちらをクリック
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