【対談】ミラノ東京
ひきこもりダイアローグ
第3回
(写真:ミラノと東京の中心街 by : IgorSaveliev / Toshl Honda)
<対談者プロフィール>
◆ マルコ・クレパルディ (Marco Crepaldi)
イタリア・ミラノに住む若い社会心理学者。イタリアにおけるひきこもりの増加に対応するべく、イタリア版「ひきこもり新聞」ともいうべきウェブサイト「Hikikomori Italia」を立ち上げ、イタリア国内約170のひきこもり家族の連絡会を主宰している。本紙「ひきこもりは何であり、何ではないか」も参照のこと。
◆ ぼそっと池井多 (Vosot Ikeida)
日本・東京に住む中高年のひきこもり当事者。ひきこもり歴は断続的に30年以上。詳しい履歴については本紙「ひきこもり放浪記」を参照のこと。なお、この対談における発言は、あくまでもぼそっと池井多個人のものであり、本紙「ひきこもり新聞」を代表する意見ではない。
◆
「ミラノ東京 ひきこもりダイアローグ 第2回」からのつづき・・・
マルコ・クレパルディ:
私は、日本でひきこもり問題への対策としてどのような活動がおこなわれているのか、公的な支援でも、私的な活動でも、たいへん興味があります。
フジサトという都市では、ある対策を講じたためにすべてのひきこもりが社会生活へ復帰した、と聞いたことがあるのですが、それは本当でしょうか。
ぼそっと池井多:
藤里町は、北日本にある小さな田舎の町です。冬には大雪に覆われます。そうした気候が、ひきこもりを生むことに一役買っているといえるかもしれません。
町の全人口は3500人、18歳から55歳までの人口は1293人で、そのうち113人がひきこもりであったと言われています。
藤里町がひきこもりの数を劇的に減らした成功例として報じられているのは本当です。しかし「すべてのひきこもりが社会復帰した」というのはちがいます。まだ25人がひきこもりのままであると私は聞いています(2017年6月現在)
マルコ・クレパルディ:
藤里町ではひきこもりを社会復帰させるために、いったいどのようなメソッドを使ったのですか。
ぼそっと池井多:
ようするに、まず居場所をつくり、ひきこもりたちが町の再生に参加できるような環境をつくったということです。
日本では、地方においては、人口の減少や、地域産業の衰退が深刻な問題になっています。藤里町も例外ではありませんでした。そこで彼らは、地元のひきこもりのマンパワーを、町の活性化のために役立てようとしたのです。
マルコ・クレパルディ:
「イバショ」って何ですか。
ぼそっと池井多:
文字通り「居る場所」です。
彼らは、ひきこもりが、ただ何となく居られるコミュニティ・スペースをつくりました。すると、ひきこもりはそれぞれの家や部屋から自発的に出てきてそこへ集まり、おしゃべりをしたり、ゲームをしたり、卓球などの室内スポーツをしたり、お茶やお酒をのんだりするようになりました。
そこで「働け」とは、誰も強要しません。彼らはただそこに「居る」ことができたのです。しかし、おそらく彼らは、故郷の町の再生のために何がしかの作業をすることによって、自分たちを有用な存在にできることがうれしかったのだろうと思います。
マルコ・クレパルディ:
いいですね。
ぼそっと池井多:
ええ。そうしたら、何か月か経ったころ、ひきこもりのうち何人かが仕事を見つけてきて社会的に働き始めた、ということなのです。
むかしイタリアへ行った時に、私はどこの町にもカフェがあるのを見ました。カフェでは地元の人たち……まあ、そのほとんどは男性ですが、人たちが集まって、エスプレッソをすすり、おしゃべりをして、ゲームなどに興じていました。働いてはいませんでした。個人的には、あのイメージは「居場所」です。
マルコ・クレパルディ:
藤里町が成功した理由を、あなたは何だと思いますか。
ぼそっと池井多:
私の個人的な見解を述べさせていただくなら、まず第一に、ひきこもり対策に関わった方々がひじょうに熱心でクリエイティブであった、ということだと思います。
いまや藤里町はひきこもり支援で全国的に有名になってしまいましたから、藤里町の中にあまりひきこもりは残っていません。すると彼らは、町の外、…それも600キロも離れた東京にまで、支援する対象のひきこもりを探し求めてやってきています。
つまり、当初は町おこしと地域の活性化とひきこもり対策をむすびつけることで始まったプロジェクトですが、今やひきこもり支援プロジェクト自体が一つの地域産業として町を活性化しているのです。
マルコ・クレパルディ:
おもしろいですね。
ぼそっと池井多:
第二に、藤里町が成功したのは、町が小さいから、ということもあったのではないでしょうか。藤里町の住民の方々は、生まれたときからお互い知り合いです。ひきこもりが地域社会へ受け容れられるための潜在的な素地やきずなは、もともとそこにあったのではないでしょうか。
さらに、もし町が小さければ、「自分はこの町に役立っている」という郷土愛を、ひきこもりが抱きやすいということがあるでしょう。その郷土愛が、社会復帰のための重要な動機となるのです。
東京のような大都市では、そのように簡単に行きません。
たとえば、私は東京の郊外に住んでいるひきこもりですが、住んでいる町は私の生まれた場所ではありません。自分が住んでいる町内のだれとも、私は親しくはないのです。
すると、もしかりに「あなたはこの町に役に立っている」と言われたところで、藤里町のひきこもりほど強い動機を、私はいだけないような気がします。
マルコ・クレパルディ:
なるほど、それはありえますね。
居場所メソッドは、日本の他の場所でもおこなわれているのでしょうか。
ぼそっと池井多:
こんにちでは、居場所メソッドは日本各地でおこなわれています。東京とその周辺だけでも、かなりの数の居場所があります。そして、そのタイプはじつに多様です。
なかには「居場所づくりの名人」と呼ばれる人たちがいて、こういう人がプロデュースする居場所はうまくいっているようです。
居場所のバリエーションといえば、私が最近かかわっている「庵」も、居場所の一種だと思います。「庵」は、100人以上のひきこもりや支援者などが集まる、二か月に一回おこなわれている定例イベントです。
「庵」の創設者の方々は、「これは居場所ではない」とおっしゃるかもしれませんが、私にしてみると居場所です。ただ、藤里町のそれのように、ハードウェアはなく、ソフトウェアだけでできている居場所なのです。
藤里町のように、固定した建物空間があるわけではなく、二か月ごとに異なる場所で開催されています。しかし、ひきこもり問題に対処するためのたくさんのプロジェクトが、この「庵」を舞台に誕生してきました。
じつは、この「ひきこもり新聞」もその一つなのです。そして、「ひきこもり新聞」もまた、一つの居場所のバリエーションだと私は考えています。
…「ミラノ東京 ひきこもりダイアローグ 第4回」へつづく
「ミラノ東京 ひきこもりダイヤローグ 第3回 英語版」はこちら。
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