<対談者プロフィール>
◆ マルコ・クレパルディ (Marco Crepaldi)
イタリア・ミラノに住む若い社会心理学者。イタリアにおけるひきこもりの増加に対応するべく、イタリア版「ひきこもり新聞」ともいうべきウェブサイト「Hikikomori Italia」を立ち上げ、イタリア国内約170のひきこもり家族の連絡会を主宰している。本紙「ひきこもりは何であり、何ではないか」(日本語版)も参照のこと。
◆ ぼそっと池井多 (Vosot Ikeida)
日本・東京に住む中高年のひきこもり当事者。ひきこもり歴は断続的に30年以上。詳しい履歴については本紙「ひきこもり放浪記」を参照のこと。問題当事者の生の声を発信する「ぼそっとプロジェクト(VOSOT)」主宰。
なお、この対談における発言は、あくまでもぼそっと池井多個人のものであり、本紙「ひきこもり新聞」を代表する意見ではない。
「ミラノ東京ひきこもりダイアローグ 第6回」からのつづき…
◆
ぼそっと池井多:
ひきこもりと国民性の関係について、私たちは同じようなことが考えられます。
たとえば、偏見かもしれませんが、一般には、あなたたちイタリア人は旺盛に人生を楽しむ民族として知られています。
食べることを愛し、歌うことを愛し、愛することを愛する。
しかし、当たり前のことですが、すべてのイタリア人は個人としてそういう面について違うわけです。旺盛に人生を楽しむイタリア人の平均的なモードについていけない「例外的な」イタリア人だってたくさんいらっしゃるはずです。
いま思えば、私の古い友人で、30年前にすでにひきこもりであったジョゼッペはそういう奴でした。
マルコ・クレパルディ:
日本人一人ひとりが違うように、イタリア人も違うわけですね。
ぼそっと池井多:
おっしゃるとおりです。
さて、ここで、私が前に述べた
「ヨーロッパでは、南の方がひきこもりが多く、北は少ない」
という仮説をあえて批判的に検討してみましょうか。
というのはね、先日私は、フィンランド北西部における「オープンダイアローグ」に関するテレビ番組を見たのです。日本では、ここのところ多くの人が「オープンダイアローグ」の可能性について語っているものですからね。それで、番組を見ていて、私はフィンランドでもひきこもり状態にある人々がいることに気づかざるを得ませんでした。
彼らは「ひきこもり」と呼ばれていませんでした。「オープンダイアローグ」が対象としている人たちが統合失調症であることは、補足しておいたほうがよいでしょう。しかし、彼らが部屋の中にひきこもっていたのは確かなのです。
マルコ・クレパルディ:
何をおっしゃりたいのか、よくわかりませんが…
ぼそっと池井多:
私は、北ヨーロッパで部屋にひきこもるのは、南ヨーロッパよりももっと普通である、という事実に思い到りました。彼らは、あなたたち南ヨーロッパの人よりも、寒くて長い冬や夜があるからです。
もし、みんながひきこもっていたら、その中で誰がひきこもりかを探し出すのが難しいでしょう。ちょうど、森の中から木を探し出すのが難しいのと同じです。
マルコ・クレパルディ:
それはそうかもしれませんが、それが何か?
ぼそっと池井多:
話をイタリアへ戻してみましょう。イタリアは降りそそぐ太陽の国です。人々は屋外に出ることを楽しんでいる。部屋にひきこもることは北ヨーロッパほど一般的ではありません。
だから、イタリアではひきこもりが見つかりやすかった、ということは考えられないでしょうか。だからこそ、ヨーロッパで最初にひきこもり現象が顕在化した国だった、ということは。
言い換えれば、北ヨーロッパでは、じつはたくさんのひきこもりがいるのだけども、寒くてひきこもりでない人もひきこもっているものだから、誰がひきこもりか見つけにくく、ひきこもりがまだ認定されていないだけかもしれない、ということです。
そういう結果から「北にはひきこもりが少ない」と考えてしまっている可能性はないでしょうか。
私の、この新奇な仮説はいかがですか。
マルコ・クレパルディ:
なるほど、それは一つの仮説ではありますが、結論を導き出すに足るデータが、とにかく私たちの手元にありません。
私たちは、何でも異なる視点から眺めることができます。たとえば、
「北ヨーロッパでは、イタリアよりもひきこもりは見つけやすい。なぜならば、イタリア人は長い年月、両親といっしょに住むものだから、そのために、ひきこもりをバンボチオーニ(「ミラノ東京 第2回 参照)から区別しにくいのである。反対に、北ヨーロッパでは、彼らは早くから両親の家を出るのが普通なので、大人になっても両親の家に住んでいる男性は、すぐにひきこもりとわかる」
なんてことも言えてしまうでしょう。
ぼそっと池井多:
うおおっ、すばらしい。
マルコ・クレパルディ:
同時にまた、あなたが前に教えてくれたように、日本ではたくさんのひきこもりが一人で暮らしているのですよね。
これは、イタリアでは不可能に思えます。イタリアでは、かなりの高収入を得ていても、両親の家から自立して暮らすのは困難なのです。
国、文化ごとに、あまりにもたくさんの多様性があるので、私には仮説を打ち立てることができません。
個人的には、ヨーロッパ全体のひきこもりのことを考えるには、まだ時期尚早だと思います。なぜならば、私たちはイタリア国内でのひきこもり現象をようやく発見したのにすぎない段階にいるからです。ひきこもりの数をかぞえる段階にも到っていません。
日本は、ひきこもり問題に関して、私たちよりもはるかに先を行っているのですよ。
ぼそっと池井多:
なるほど、そりゃ納得できますな。
「ミラノ東京 ひきこもりダイヤローグ 第7回 英語版」はこちら。
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