自信を持てなくなってしまった
ひきこもりを経たことで、著しく自信を持てなくなってしまったことの一つに”恋愛”がある。
テレビを視聴中に、彼氏へ求める条件を聞かれた女性芸人が「全然ないよー。 普通に働いていれば」と返答し、「全然あるじゃねーか!」と内心ツッコミを入れた。その直後、どーんと気持ちが落ち込んだことがある。またある時は知人達から「今彼女いるの?」「なんで彼女作らないの?」という、 恋愛出来ること前提の言葉の数々を浴びせられ「もうやめて…!」といった気分になったこともあった。
容赦のない言葉が聞こえてくる
自分はなぜ、恋愛に自信が持てなくなってしまったのか。
自分は中学2年の時に不登校を経験している。しかし、10代の時はここまで恋愛に対して深刻な気持ちにはならなかった。決して順風満帆であるとか経験豊富とは言えないが、好きになった女の子に対して不登校経験を伝え、交際まで至るという経験もあった。
ところが、「不登校」というワードが『無職』『ニート』『ひきこもり』に変わった途端、様々なところから容赦のない言葉が聞こえてくるようになった。「無職、ニート、ひきこもりは死ね」といったネットでの書き込みは感覚が麻痺するほど目にした。それがマジなのかネタなのかすらどうでもよくなるほどだった。上記の言葉が、ひきこもり界隈を卑下する決まり文句として世の中にはびこっている気がした。
自分を隠すようになる
20代前半のある時期、数年間続けたバイトを辞めた。その何もしていない空白期間の最中、好きになった女性と交際し、別れるまでの半年間、一度も自分の現状(無職であること)を相手に伝えられなかったことがある。
「次の仕事が決まったら事後報告のような形で説明しよう」という計画性の無いプランを考えたこともあったけれど、言ってしまえば単純に「みっともなくて言えなかった」に尽きるのだと思う。
結局、最後の最後まで僕の現状を彼女へ伝えることはできなかった。彼女側も深く問い詰めてくることはなく、その恋愛は不完全燃焼な形で終わった。
仕事をしていないということは、こんなにも恋愛で自信を持てなくなるということに繋がるのかと胸がキリリと痛くなった。「働かなくてはいけない」という言葉が頭の中でループするようになったのはこの頃からだ。同時に、新たな仕事が長続きしなくなってきたのもこの時期からだった。
隠すほどに自信をすり減らす
20代半ば頃、同世代の大半は就職し、早い人は結婚したなんて声も聞こえてくるようになった。
その時期の自分はといえば、夢や目標のようなものがうっすらと消え去っていき、履歴書の空白期間が長くなっていた。同時に、仕事へ対する価値観が「苦痛だけどやらなくてはいけないもの」という認識に変わってきていた。
家族からのプレッシャー、友人や親族との距離感、新たな職場での人間関係、それらを何とかやり過ごすために、建前なのか嘘なのかも分からない言葉をその都度重ねては、自分でも気付かないレベルで自信を擦り減らす行為を繰り返していたように思う。
恋愛だけでなく、多方面に支障をきたし始めてきたのもこの時期だ。新たな人間関係を作ろうにも、自分自身の現状やこれまでの過程がとても後ろめたく感じて全てを話す気になれなかった。
当然深い付き合いなんてもっての外だった。この頃は好きな女の子が出来そうになったら、その瞬間から全力でその気持ちにブレーキを掛けるようになっていた。それは、万が一付き合ったとしても、その先に明るいイメージが何も浮かばなかったからだ。これは本当にキツかった。
失った自信は回復するの?
こうした状態のまま事態が好転することもなく、親との関係悪化を経て、2年半ほど自分はひきこもり状態へと至った。「こうやってひきこもるのかー」なんて自分で思ってしまうほど、それは少しずつ擦り減っていった自信の結果でしかなかった。
最近、自信というのは環境に育ててもらうものだと改めて思う。ひきこもりを脱した直後、理解ある人たちとの出会いによって、自分の自信が少しだけ回復した気がしている。
それでも、犯罪を犯したわけでもないのに消えないこの罪悪感は何なのだろうか。そもそも、ひきこもってしまった自分が失ってきた自信って、どれぐらい回復するものなのでしょう?
(文:高城レニヲ)