『ひきこもり社交界の実態について(後編)』ヨナタンからの手紙 第3回 


 

『ひきこもり社交界の実態について(前編)』ヨナタンからの手紙 第3回 

の続き

最後に ~とくに注意すべきこと~

 

最後になるが、社交界に参加される目的等に関連して。

 

これは当事者・関係者ともに、非常に誤解されやすいことなのであるが、

ひきこもり社交界は、基本的に、いわゆる対人関係・社会性の訓練のための

場所ではない、ということを心に留めていただきたい。

これは学校・職場などのサークルや飲み会が、

別に「訓練」のために存在している訳ではないのと同様である。

社交会は基本的に、ひきこもり生活を送りつつも、社交活動に関心を抱いたり、

「ずっと独りでいるのも心身に良くないので」などと、交遊の必要を

感じるに至った人々が集う場である。

交遊を通して、結果的に、対人関係方面が改善されたように見えたり、

また、ひきこもり新聞のような社会的意義をもつ活動が発生する場合もあるが、

それらはあくまで、おまけ、副産物にすぎないと見ていただく方が良いと思う。

 

実際、社交界で中心的な役割を担っている人々は、ひきこもり系といっても

(体力や職業的能力はともかくとして)社会的な能力という点では、

一般的な社会生活を送っている人と、さほど変わらない人が大半である。

何らかの心身の病や、長期的なひきこもり生活の影響、

また家庭や学校や会社での過酷な経験(イジメ・虐待など)が原因で、

対人関係の要領が鈍っていたり、経験が不足していたり、また臆病になっている

ことは多いものの、本来的な意味でのコミュニケーション能力自体には

問題のない人たちだといっていい。

いわば、もともと、他の人と普通につきあえる人たち、

あるいは内向的な人でも、ある程度なら社交生活も享受できるタイプの

人たちの世界といえる。

 

よって、そうした人たちが多数を占める場に、生来的な障害その他の事情で、

対人的能力に問題を抱えた人が来られると、練習となるよりは、

「コミュ力あるひきこもり」たちの姿に違和感を覚えたり、

場合によっては、ある種の格差や圧力のようなものを意識してしまい、

かえってダメージを受けてしまう可能性があることに注意して頂きたい。

……詳しくは書けないが、私の周囲でも、こうした現象が何度か

起きたことがあるのだ。

 

よって、そうした訓練・改善の方面に関心がある向きは、

社交界よりは、まずは専門的なカウンセリングやサポート機関、

あるいはひきこもり一般というより、そうした人々をとくに想定している

ような居場所などに赴かれた方が、目的に適うのではないか、

と私は考える。

 

ただ、ひきこもり系の人たちは、実際にはそうでもないのに、

自分は対人関係が苦手で、コミュニケーション能力が低いと、

捉える傾向があり、社交界に参加することで、そうした思い違いが

解ける場合もあるので、一概には言いにくいのだが。

また、私が観察したかぎりでは、社交活動を通してのコミュ力の改善とか、

成長とか言われている現象は、実際には「慣れてきた」

「(人間関係の)カンが戻ってきた」にすぎないことが多い。

目下の結論としては、われわれの社交会での交遊から、

ポジティヴな影響を受け取ることができるのは、

こうした「ひきこもり系ではあるが、コミュ障ではない」

種類の人々に限られるかとは思う。

 

総括すれば、われわれの社交会は、

すべてのひきこもり系の人にとって適した、

あるいは有益な場であるわけではない、ということを

とりあえず認めておかねばならないだろう。

 

 

以上。

では。次回の通信まで、シーユーアゲイン。