『ひきこもりのすすめ』書評YouTuberゆういち


⾼校⼀年⽣だった16歳の私は、他者の視線が圧倒的に恐ろしかった。
福井県屈指の進学校で学年⼀位の学業成績を有していたけれど、数学が⼤好きだったけれ
ど、部活で指す将棋が好きだったけれど、でも、それらを⼀瞬で凌駕し、⾃⼰を深淵に叩き
つけてくるのが他者の視線だった。
⼈間という⼤きな⼆つの眼球と脳髄を持つ⽣物に⾒られるということは、耐えられなかっ
た。なぜなら⼈間はその本質が悪で、彼らが私を⾒るときに思うことは「こいつをどう罵っ
てやろうか」、「殴りたい顔だなぁ」、「こいつの彼⼥を犯したい」とかそういうことだと、当
時の私はしかつめらしく考えていた。とりわけいじめられていた経験はないし、⾝内に不幸
があったわけでもないが、直観的に、⼈間は悪だと思っていた。そう思うほうが楽だから。
善だと思っていた⼈が実は悪だったというパターンよりも。
しかし、そうした思い込みを続けていると、段々と息苦しくなっていった。ランチタイム、
クラスメイトと机をくっつけて売店で買った惣菜パンを⾷べているとき、⼀緒にいる4 ⼈
の視線――合計8 つも眼球があった――が気になり、パンが喉を通らなくなった。4 つの
顔、8つの眼球がむしゃむしゃと気持ち悪く咀嚼しながら、性欲や暴⼒を私に対してどうや
ってぶつけてやろうかと画策しているように思えた。無論、会話の内容は⾄極牧歌的で、気
のおけない友⼈たちだったのだが、しかし⼈間の内奥など悪に決まっている。気付けば、⽩
いシャツの背中がびっしょりと濡れていて、⾸の後ろのほうが異様に強張っていた。パンが
喉を通らないどころか、⾸を左右に動かすことも⽴ち上がることもできず、⾦縛りにあって
いるように硬直している⾃分の⾁体を、ただ冷や汗がつたっていく。
だいぶ後になって精神科に⾏くと視線恐怖症と診断されたのだが、当時の私はただただ硬
直し、冷や汗を流し、他者の眼球に常住坐臥怯えていた。
そして、他者の視線をやり過ごすことに疲弊し、⾼校⼊学から4ヶ⽉ほどで中退した。
⾼校を卒業し、⼤学に⾏き、素敵な企業に就職するというお粗末な進路を盲⽬的に描いてい
た当時の私にとって、⼤学も企業も、その場に多くの眼球があるという点で最悪の環境だと
思い、そうするともう、⾃室――他者の眼球が⼀つもないない直⽅体――のなかにひきこも
るという他なかった。
実家の⼆階で、家族とも⽬を合わせず対話せず、茫漠とした時間のなかをさまよう⽇々。私
の内向性と偏屈さを⾝に染みて知った両親は、はじめの頃こそ無理やり部屋のドアを叩い
て情緒ある⾔葉をかけてきたが、そのうち積極的に関わるのをやめたようで、たまに⺟が部
屋の外の廊下に⾷膳を置いてくれるというだけになった。
ほとんどの時間は眠っていて、その他はアニメやゲームや⼩説や2 チャンネルに没頭し、
たまにマスターベーションをした。
眩暈がして⾎の気が引くくらいの空腹がやってくると、家族がいないうちに⼀階に⾏き、⾷
パンを⽣でかじり、チョコレートを⾷べた。ふりかけをごはんにふりかけずに⾷べたりもし
た。ゴキブリみたいな⾃分に、なんだか安⼼した。⼈間という難儀な存在から、早く抜け出
したかった。
⾁体が邪魔で、じゃあもういっそのこと⾃殺してやろうかとも思ったが、しかし⼀⼈の⼈間
を殺すというのは並⼤抵の労⼒では済まない。通販で頑強なロープを買ってみても、結局部
屋のどこにどのように設置するのが適切なのかわからなかったし、⾶び降りて死ねる⾼さ
の建物まで歩いて⾏くのも億劫だった。インターネットには、そこかしこに「死にたいなら
さっさと死ねよ」という書き込みがあったが、きっと彼らは⼈を殺したことがあって、その
⼤変さ⾯倒臭さを熟知したうえで助⾔しているのだろう。彼らのような優秀な殺し屋が勝
⼿に部屋にやってきてサクッと私を殺してくれればいいのに。
気付けば私は、⼀般的な⽇本⼈でいうところの⾼校⼀年の夏から⾼校三年の夏まで、ちょう
ど⼆年間ひきこもっていた。
癖⽑の頭髪が無造作に伸びるのが不快でたまにハサミで切っていたのだが、そのせいでむ
しろ⾒るに耐えない髪型になっていて、体は痩せ細りあばら⾻が浮き出ていた。
そういう折、ひきこもり⽣活三年⽬に⼊ろうというときに、なんとなく読んだ⾕崎潤⼀郎の
『春琴抄』に圧倒されてしまう。⻩ばんだ万年床の枕に涙が何粒も落ち、私は純⽂学という
ものの尋常でないパワーを知ってしまった。
それから川端康成や太宰治や三島由紀夫などを読んでいくうちに、ぼんやり分かっていっ
たのだが、彼らに通底している⼈⽣あるいは⼈間に対する諦念のようなものや、だからこそ
⽂学表現の美や⾃然の美を追求する姿勢に打たれたのだった。
私は、とりわけ内向きのエネルギーが外向きのエネルギーと⽐較して過剰に⼤きかった。だ
からして、⾃⾝の内⾯を恐ろしく揺さぶるものと出会ったとき、常⼈では考えられないほど
の圧倒的なエネルギーの萌芽があった。これは通俗的にオタクと呼ばれることが多いが、ひ
きこもりというのはこのオタクという種族とかなり近似しているのではないかと私は思っ
ていて、内向きのエネルギーが⾃⾝の内奥の感じやすい部分に達したとき‒‒‒‒まさに私が
春琴抄を読んだときのように‒‒‒‒そこから向きを反転させて外向きにエネルギーが溢れ出
す転瞬がある。
そのとき、私は外に出ようと思ったのだ。
無論、?その選択を⼿放しで良いものだとはついぞ思わないが、しかしとにかく、⼈⽣あるい
は⼈間に対する絶望と諦念を抱えたまま、それでも私は純⽂学をちょっとばかり信じてみ
たくなったのだ。
私はそこから、⾼校卒業程度認定試験を受け、同志社⼤学⽂学部に⼊学した。
⼤学では⽂学や哲学を学び、そこでどうしたわけかコピーライターという職業に憧れて広
告代理店に就職し、2年間の激しい勤務を経て退職した。なぜ退職したかというと、いくら
か理由はあるが、強引に約⾔してしまえば、ただ好きじゃなかった。
好きじゃなくとも、仕事はしなきゃいけない。そういう悪辣な主義主張をかましてくる⼈も
いるが、彼らは本当に好きなことを⾒定められていないだけだと私は思っている。周囲が働
くことを是としているから働くことで安⼼できたり、仕事というストレスにどっぷり浸か
ることで陰鬱な⼈⽣から⽬を逸らしていたり、⽣活の⽔準を下げたくないから稼ぐために
働いていたり。
周囲が是としているからというのを遠因に働くのは好きじゃないし、⽣活の⽔準なんてド
ブネズミクラスでいい。
その代わり、ちゃんと好きなことをしようと決めた。
現在25歳無職だ。
しかも、友⼈の家に寄⽣している。
書評YouTuberとして動画投稿をしていたり、⼩説執筆をしていたりするが、それでお⾦を
稼いでいるわけではないし、なにかアルバイトをしようとも思っていない。
ただ、好きに⽣きている。
資本主義だとか儒教だとかプロテスタンティズムだとか⼿垢のついた価値観を援⽤して説
教したくなる向きもあると思うが、そういうのは2 年間のひきこもり⽣活でたっぷり⾃問
したのでもううんざりだ。好きに⽣きられないからって、それを他⼈に強制するのはどうか
やめてほしい。
幸い、私は根っからのひきこもりで、天性のひきこもりだから、内⾯を飽きるほど深く⾒つ
めてきたので、⾃分の好きなものを知悉している。
だから、好きに⽣きられる。
もし、ひきこもり‒‒‒‒物理的にも、精神的にも‒‒‒‒を経験したことがなく、そして今好きに
⽣きることができていない状況にある⼈がいれば、私は切にひきこもりを推奨する。

⾃⼰紹介
書評YouTuber。
1994年、福井県⽣まれ。
⾼校中退後2年間プロのひきこもりとして活動。
向いていないのではと思い悩み、ひきこもり活動を休⽌して⼤学へ。
同志社⼤学⽂学部を卒業後、株式会社博報堂で2年間激しく勤務。
やはり天性のひきこもりだと⾃覚し、退職してひきこもり復帰中。

twitter:https://twitter.com/hikikomoribook

YouTubeチャンネル:生きてるだけでひきこもり


1 Comment

  1. 餅田智彦

    「生きてるだけでひきこもり」というタイトルに惹かれますね。youtube も拝見しました。「書評ユーチューバー」、なかなか面白い試みです。さわやかな語り口が見せます。ひきこもり新聞を通じて、また新しい才能が出てきたな、という感想を抱きました。活躍に期待します。